31歳にして4度の転職を経験し、会社のために働くことの意味を考える
埼玉県立大宮高等学校~学習院大学経済学部に進学
私が高校生の頃はまだまだ偏差値重視の時代で、私も受験戦争を経験した一人です。高校の放課後は進学塾に通い、少しでも偏差値を上げることに必死でした。大学時代は某百貨店でのアルバイト三昧の日々で、社員さん並に働いてました。(ここまではとても順調な人生を歩んでいます!)
新卒で金融機関に入社…しかし……。
私が大学在学中に、いわゆる『バブル崩壊』が起こり、就職活動はそれまでの超売り手市場から一転し、就職氷河期に突入していました。私はとある金融機関への就職を決めましたが、しかし私の選択が誤っていた事が直ぐに判明します。
入社後僅か一年半でその会社が経営破綻。日経新聞の一面に記事が載り店舗には預金解約のお客様が長蛇の列を作り、お取引先からは数多くの非難を受け、金融機関が破綻する事の世の中に対する影響の重大さを身を以て経験しました。
最終営業日の閉店時、本店のシャッターがゆっくりと閉まってゆく間、外に向けて職員一同でずっとお辞儀をし続けていた事を今でも憶えています。(会社が破綻するという想定外の事態により、それまで当然と思っていた『会社で働く』という事への考え方に少し変化が生じた気がします)
外資系食品会社の営業職として再出発
まだ若かった事も幸いし、すぐに次の就職先が決まりました。前職とは全く異なりますが食品の営業です。入社時に担当地域と年間販売目標数、それに対する報酬が記載された契約書を渡され、内容に納得すればサインして雇用契約が成立という、とても明確でスマートな手続きに『さすが外資系!』と感心しました。
自分専用の営業車と携帯電話が支給され、山梨/長野/栃木県を担当し、商社やディスカウントストア、飲食店などに対して営業活動を行っていました。(当時はまだ携帯電話が珍しかったので、わざと人前で誇らしげに話していたものです……)
仕事は楽しく充実感もあったのですが、会社全体の売上げは芳しくなかったようで、日本撤退の噂が社内中に流れました。そんななか、会社経営をしている叔父から、将来の経営者候補として入社しないかと誘って頂き、転職を決断しました。(結局、その外資系企業は程なくして噂通り日本から撤退し、会社も消滅しました。自分は働く会社に恵まれないなぁと思いましたが、悲劇は更に続く事となります)
叔父が経営する産業機器メーカーに転職するも三度目の……。
将来的に経営の一翼を担うべく、会社全体の事を勉強するために、製造部門や営業企画、管理系部門などを経験しました。以前は上場も視野に入るほど好調な時もありましたが、私が入社した頃は、バブル崩壊の後遺症で日本全体が元気の無い時代であったため、資金繰りが危うくなった時がありました。しかし、頼りにしていたメインバンクから突然『貸し剥がし』を受け融資がストップし、結果、支払手形の決済が不可能となり万事休す。敢え無く破綻してしまいました。
弁護士や税理士の先生方の協力を得て、民事再生が認可されたので、何とか破産は免れましたが、私は人事担当管理職として、人件費削減の為に多くの社員の方々を退職に追いやってしまった事に大きな責任を感じ、手続きが一段落した所で辞職を申し出、退職しました。
勤務した3社全てが破綻や撤退などで消滅してしまうという希有な経験をした事で、この頃にはもう『会社の為に働く』などという感覚は微塵も無く、むしろ会社に自分の人生を預ける事はとても危険な考え方だとさえ思うようになっておりました。
IT関連企業に転職し、開業のキッカケとなる資格を取得
31歳で既に4社目の転職でしたが、会社都合退職が多かった事もあって、何とか乗り切り大手総合商社系列と独立系東証一部上場企業の2社で人事の仕事をしました。以前にも給与計算や勤怠管理、就業規則や給与制度の改定など一通りの人事業務を経験していたつもりでしたが、企業規模が大きくなった事もあり、他部署・グループ企業との連携や調整などが必要な場面も多く、大変勉強になりました。
また、社員数が多いと必然的にトラブルが発生する頻度も多くなり、裁判所や労基署との折衝など、労務問題の対応を多く積めた事も良い経験になりました。
安定した会社で安心して働ける事は本来であれば大変嬉しい事なのですが、これまでの会社員生活がジェットコースターのように浮き沈みが激しかった私にとっては、それが逆に不安材料となっていました。『平穏な生活が続くハズが無く、いつか大事件に巻き込まれるに違い無い!』と。
そこで、この先何が起こっても働き口に困らないよう、資格取得の勉強に目覚めました。朝は始発で会社に行き、始業前に2時間勉強して終業後はカフェで1時間勉強してから帰宅するといった生活を続けました。家族には大きな迷惑をかけましたが、その甲斐あって、国家資格をはじめ複数の資格を取得する事が出来ました。
そしてだんだんと『起業』というキーワードが頭に浮かぶようになりました。
意を決して事務所を開業
従前から『生命保険を見直したい』『住宅ローンの借換えをしたい』『定年した後も働くべきか』など、個人的な相談を持ちかけられる事がなぜか多く、また私自身も、せっかく自分を頼って相談して下さった方のために、事実関係を細かく調査し、その結果を少しでも分かりやすく説明できるよう、工夫して資料を作る事に労を厭わないタイプの人間でした。
勿論、それらは無償で対応していたのですが、『ありがとう!参考になったよ!』と言って頂けるだけで無上の喜びを感じておりました。(今思えば小学生の頃から、勉強が分からないクラスメートに自ら進んで歩み寄って
頼まれてもいないのに教えてあげるようなお節介者でした。。。。笑)
やがて、自分が紆余曲折の人生を歩んできた中で得た経験と、資格取得の勉強で習得した知識を様々な形で活用する事により、悩みや課題を抱えている方のお役に立ちたいという思いが日に日に強くなり、ついに開業を決意しました。
国家資格である、社会保険労務士と行政書士を中心に、FP(ファイナンシャルプランナー)、宅地建物取引士などの知識を織り交ぜ、一人でも多くの方のご支援をさせて頂きたいと思っております。
そしてこれから
ここから先は少しずつ書き足してゆきたいと思っております。明るく前向きなプロフィールになるよう、日々頑張ってゆきますのでご期待下さい!
(長文にお付き合い下さりありがとうございました!)
経歴
1990年 | 埼玉県立大宮高等学校 卒業 |
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1994年 | 学習院大学経済学部 卒業 |
以後、金融機関(銀行員)、外資系食品会社(営業)、機械メーカー(総務/人事)、大手総合商社系列のIT企業(人事)、東証1部上場のIT企業(人事)にて勤務
保有資格
2005年 | 第一種衛生管理者 |
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AFP(Affiliated Financial Planner) | |
2006年 | CFP(Certified Financial Planner) |
DCプランナー2級 | |
2007年 | 宅地建物取引士 |
2010年 | 行政書士 |
日商簿記検定2級 | |
2011年 | 社会保険労務士 |
2019年 | 申請取次行政書士 |
特定行政書士 | |
特定社会保険労務士 |